今回は東武野田線についてみていきたいと思います。今後大きな変化が訪れる野田線の歴史を振り返りながら車両を中心にみていきたいと思います。なおこのページでは鉄道模型と私の記憶を中心にみていきますのでとても古い車両(1980年代以前ぐらいにすでにいなかった車両)には触れないのでそこのところはご容赦ください。

東武野田線とは
東武野田線とは埼玉県大宮より春日部、千葉県野田市、柏を経由して船橋に至る東武鉄道の路線です。野田市から柏への醤油の輸送が起源となっています。そこから大宮方面、船橋方面に路線が伸びて現在に至ります。当初は柏・船橋間は船橋線となっていたようですがのちに野田線に統合されたようです。1950年代から複線化が進み現在の単線区間は春日部・運河間を残すのみとなっています。2014年に愛称としてアーバンパークラインを付与、2016年に急行運転開始、2017年に特急アーバンパークライナー運転開始(2024年から運転休止)と近年に再び大きな変化を迎えつつあった野田線ではコロナ禍を経て2025年から現在の6両編成の車両を5両編成へと短縮が行われます。当然車両側にも大きな変化が訪れますがこれも踏まえて車両解説をしていきたいと思います。

3000系
旧型車両の走行機器はそのままに車体のみを新製して載せ替えられた車両です。車種は32系で台車は各々の車両で異なっている。載せ替えられた車体は8000系に準じているが車種の車体長の関係で18メートルとなっている。登場時は伊勢崎線・日光線や東上線で走っていたが1972年に全編成が野田線に集約された。2両編成と4両編成が存在したが野田線では6両編成が基本となっていたため4両編成の一部は組み替えられ2両編成と6両編成となった。1980年代以降、18メートルの車両では輸送力が不足してきたため、本線系統で10000系によって置き換えられた20メートル車両の5000・5070系や8000系への置き換えが進み1987年から廃車が始まり、1992年には全廃となった。私の祖母が東岩槻に住んでいたのでおそらく乗ったことはあると思うが記憶にないのが残念なところである。

3000系は以前に事業者限定で製品化されている(写真右)。セイジクリーム塗装と2種の青ライン塗装の2種類がラインナップされている。
鉄道コレクション東武3000系(セイジクリーム)4両セット2080系
日比谷線直通用車両の2000系を改造した車両。1988年に登場したが日比谷線に特化した性能の車両を無理やり野田線に合わせた仕様に改造したため故障が多く、非冷房車で18メートル車だったことが災いし1992年には廃車され4年で消滅した。この形式と上記の3000系の消滅をもって野田線での18メートル車両はいなくなった。
5000・5050・5070系
こちらも旧型車両に新製車体を乗せ換えた車両である。車種は78系でやはり8000系に準じた車体を新製しており、こちらは20メートル車体となっている。最初に4両編成非冷房車(のちに冷房化)の5000系、次に4両編成と2両編成で冷房車の5050系、最後に6両編成冷房車の5070系の順に製造された。5000系は越生線や本線を転々とした後に、5050系は伊勢崎線から、5070系は竣工直後から野田線に配置され1991年にはすべての編成が野田線に所属していました。その後は8000系の転属により5050系は一足早く栃木・群馬のローカル線へ、5000系は1999年に全編成が野田線を離れ休車を経て2003年に廃車されました。5070系は引き続き野田線に残留したものの引き続き8000系の転属によって廃車が始まり2004年には姿を消しました。なお5070系が姿を消した直後のダイヤ改正で野田線は東岩槻~春日部の複線化が完了するとともにダイヤのネックとなっていた5070系がいなくなったことによってスピードアップが図られた。またこの時は日中の10分間隔のダイヤも大きく宣伝され注目された。

吊り掛け駆動のため加速が悪く乗り心地もよくなかった。

野田線でも走っていたが数年で離脱し北関東へ転属していった。

模型はマイクロエースから製品化されている。
8000系
1963年から1983年にかけて712両が製造された私鉄最大の形式で私鉄の103系と称されている。4ドア20メートルと現在最も標準的なスタイルのため数は減らしたが現在も運行している。1977年に野田線にやってきたがこの時は5050・5070系に置き換えられ1983年にいったん消滅、1989年に再びやってきて以後は旧型車両を置き換えていった。2004年には野田線すべての車両が8000系になりこれは2013年まで続くことになる。この間も古い8000系を東上線や本線の経年の浅い8000系で置き換えが行われている。2013年以降は後述の10030系や60000系に置き換えられていったがすべてを置き換えるには至らず現在に至っている。今後、野田線では5両化が予定されており新型形式の80000系に置き換えられ廃車されるものと思われる。

2014年にアーバンパークラインの愛称が与えられ車両にも掲示されるようになった。急行運転が始まるまでは種別幕は黒になっていた。


野田線の8000系は4+2の編成がいたが座席が少ないせいか優先的に配車が進んでいった。一部の車両は他の車両の先頭車化改造のために運転台が撤去された。

8111Fはそれまで動態保存車として走っていて野田線においても2012・2013年に大宮~東京スカイツリー間を臨時列車として運行した。2023年になってからは老朽車両の置き換えで野田線で営業運転を開始したことには衝撃を受けた。ちなみに8111Fは車齢60年超で置き換えられた8150Fは車齢50年超という何ともいえない置き換えだった。リバイバルカラーは鉄道コレクションで発売されている。ほかの8000系も鉄道コレクションで発売されている編成がある。

模型はKATOから更新車が発売されているほかマイクロエースからスーパー8000と呼ばれる更新が最後に行われた車両がアーバンパークラインのロゴ入りで発売されている。
10030・10050系
8000系の後継車両として開発された形式で10000系のマイナーチェンジ版は10030型と呼ばれている。さらにマイナーチェンジの行われた10050型とともに一部の編成が2013年から野田線にやってきた。ステンレスの車両が始めてやってきた瞬間であった。基本的には本線の余剰車なので野田線での編成数は少ない。10030型はリニューアルされた編成で表示機がフルカラーLEDに、10050型は未更新車のため方向幕のままとなっている。野田線に転属する際に後述の60000系と同様の配色のラインカラー(フューチャーブルーとブライトグリーン)となりどこかのコンビニを思わせるデザインになっている。この形式も5両化の際には野田線を離れるものと思われるがその後の処遇はよくわからない。そもそも6両編成は本線でも運用数が減っているためそのまま戻るのか?あるいは短編成ワンマン化されるのか?廃車されてしまうのかもしれない。私も注目している。

2014年に愛称が付与されロゴを掲出するようになったためロゴなしで走っていた期間は短い。


現在はホーム検知装置が取り付けられている。リニューアルに際してヘッドライトとテールライトの配置が逆転している。(写真左は10030型リニューアル車、右は10050型)

10030型と10050型がそれぞれグリーンマックスから発売されている。
60000系
8000系置き換え用として2013年に登場した。野田線に直接新造車が導入されたのは初めてのことだった。50000系をベースに開発され独特の前面形状とヒューチャーブルー・ブライトグリーンのデザインを纏っている。2015年までに18編成が製造された。今後は5両化の際に1両減車され5両編成に組み替えられる予定である(すでに工場への入場が始まっている)。外された1両は改造されて80000系に組み込まれる。


2編成にそれぞれ別のデザインのヘッドマークを掲出して華々しいデビューを飾った。この時はまだ愛称がないためロゴはない。

アーバンパークラインになった日にもヘッドマークを掲出していた。

急行運転開始時もヘッドマークが掲出された。

グリーンマックスから発売されている。愛称なしやアンテナが二本に増設された編成などが製品化されている。
80000系
今度の5両化に際して8000系・10030・10050系の置き換え用として製造される東武鉄道最新鋭の通勤型車両です。5両編成となるが5両すべて新造の編成と4両新造と1両60000系からの改造車で構成される編成の2種類となる。2025年3月8日より営業運転を開始する予定である。

3月8日のデビューに向けて試運転中の80000系。
500系
車両を分割併合して自由度の高い編成で多線区を走る姿からRevaty(リバティ)という造語の愛称が与えられている特急型車両である。3両編成を基本に最大6両編成で運行されている。野田線においては2017年にアーバンパークライナーとして運行を開始した。特に1号は最大限にリバティーの特性が生かされていて、6両で浅草を出発した後、春日部で3両づつに切り離されそれぞれが大宮・柏へと向かう運行をしていた。その後は野田線内大宮~柏を行き来するライナーとして運行していた。2024年のダイヤ改正で春日部駅の高架化工事のためいったん運行は休止され今に至っている。工事が終了した暁にはまた復活してほしいと思う。

1号は大宮到着後に折り返しアーバンパークライナー2号柏行きとなっていた。

TOMIXから発売されている。
その他
ここまでは定期列車として運用されていた車両を取り上げたがここではそれ以外の不定期で野田線を走っていた車両を簡単に取り上げようと思う。

まずは634型である。快速用の6050系を改造した車両でスカイツリーの高さにちなんで634型スカイツリートレインと名付けられた。展望窓を備え付けている。野田線においては2012年から2017年まで大宮~浅草間で臨時特急列車として運行した。スカイツリートレイン4号で浅草行きのみが設定されていた。


そのほかにも快速用の6050系や特急型の300・350型や1800系も臨時列車や団体専用列車で運行したことがある。
また300型は臨時特急きりふりとして年末の金曜日に浅草から運河まで運行され、この列車はアーバンパークライナーの先駆けとなった。
最新のN100系スペーシアXも団体列車として入線を果たしている。
まとめ

簡単に野田線の歴史と車両の変遷を見て来ましたが大きく変わったなあ、という印象を受けました。複線化が進み、運行本数が増え、車両も吊りかけ駆動式から変わり大幅なスピードアップを果たしました。私は2010年ごろに岩槻を離れてしまったので8000系全盛期で野田線を離れたわけですがへんちくりんな愛称がついてしまった(考えた人や気に入ってる人、ごめんなさい)がその後も新形式の導入、急行運転やライナーの導入など進化を遂げてきた野田線ではあるが少し気がかりなこともある。今後予定されている5両化だ。コロナ禍を経て利用客が減ってしまった側面はあるのだろうが18メートル車両を20メートルにしてまで輸送力を確保してきた路線だけに気がかりである。まあ。心配しても計画は進むだろうと思われるのでまずは様子を見てみようと思う。
また、これまでにいろいろな車両が登場してきたが私は模型を通じて接していきたいと思っている。このブログでも紹介していきたいと思うのでお付き合いいただけると幸いです。